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東京高等裁判所 平成10年(ネ)1460号 判決 1999年9月16日

主文

一  一審被告の本件控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  一審被告は、一審原告らに対し、それぞれ金一二五万円及びこれに対する昭和六一年一一月一九日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  一審原告らの本件控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を一審被告の、その余を一審原告らの各負担とする。

四  この判決第一項1は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  一審原告ら

1  原判決を次のとおり変更する。

2  一審被告は、一審原告らに対し、それぞれ金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一〇月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  仮執行宣言

二  一審被告

1  原判決中、一審被告敗訴部分を取り消す。

2  一審原告らの請求をいずれも棄却する。

第二  事案の概要

次のとおり訂正、付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。

一1  原判決三頁末行の「あった」の次に「など」を加え、四頁三行目の「ほぼ」を削り、同一〇行目の末尾に「そして、訴外人は、昭和四四年ころ、PNにより両下肢を大腿中央部から切断する手術を受けた。」を加える。

2  六頁八行目及び九行目を削り、同一〇行目の「八」を「七」に同末行の「九」を「八」にそれぞれ改める。

3  八頁一行目の「訴外人の死因」を「訴外人の死因と因果関係」に、同七行目の「失語証」を「失語症」にそれぞれ改める。

4  一三頁末行から一四頁二行目までを次のとおり改める。

「(二) 仮に、ベッドから転落して頭部を打ったことが訴外人の死亡と無関係であったとしても、前記争点一1(三)のとおり、一審被告には、訴外人が高カリウム血症により死亡したこと、及び訴外人がベッドから転落した後の措置についてそれぞれ過失がある。」

5  一六頁一行目の末尾に「債務不履行に基づく損害賠償請求において、遺族固有の慰謝料を認めることはできない。」を加える。

二  当審における主張(解剖義務、死因説明義務の有無)

1  一審原告ら

訴外人の死後、一審原告らと一審被告との間で、訴外人の解剖をする旨の合意が成立したのであるから、一審被告は、訴外人を解剖する義務、及び解剖した上での死因に関する説明を一審原告らにするべき義務が生じた。

仮に、右合意が成立しなかったとしても、民法六四五条により、又は、訴外人の診療契約(準委任契約)上の地位の相続により、一審被告は、訴外人を解剖する義務、及び解剖した上での死因に関する説明を一審原告らにするべき義務があったというべきである。

しかるに、一審被告は、訴外人の解剖を拒否したのであるから、この点に過失があり、右過失によって一審原告らが被った精神的苦痛についての損害を賠償すべき責任がある。

2  一審被告

医療期間ないし医師は、患者の生命、健康の維持、増進を図ることを責務としているのであり、患者死亡後、その死因を明らかにするために解剖しなければならない法的義務を課されているものではなく、このことは、患者の遺族の解剖の求めがあった場合でも同じである。

第三  当裁判所の判断

一  争点一(訴外人の死因と因果関係)について

1  一審原告らは、訴外人が九月二五日に車椅子での移動中に転倒して頭部を打ったと主張するが、右主張に沿う証拠として提出された甲一三号証の一によっても、訴外人自身が転倒したと認めることはできず、右主張に沿う一審原告小松の供述(甲第五二号証を含む。)も、他にこれを裏付ける証拠が全くないので、採用することができず、かえって、甲第四八号証の訴外人の日記にその旨の記載が全くないことからは、右転倒の事実はなかったことがうかがわれ、他に、右転倒の事実、又は訴外人にこれを推認させる意識障害や血圧の顕著な上昇又は下降等の身体上の変化があったことをうかがわせる証拠はないから、右転倒(頭部打撲)の事実は認められない。

2  証拠(乙第六号証、証人上島第一二回、証人名取第二八回)によれば、訴外人が一〇月二九日にベッドから転倒した後の看護経過は、原判決別紙「ベッドからの転落後の経過」記載のとおりであること、右転落の事実はその直後に看護婦の知るところとなり、看護婦において訴外人の状況を観察し、特に意識状態に異変を感じなかったこと、その後、黒河内医師や約二時間後には主治医の上島医師が訴外人を診察し、意識状態、眼の状態(瞳孔の動き)、腱反射等の検査を行った上で、この時点で訴外人に頭蓋内の出血はないと判断したことが認められる。そうすると、医師が、訴外人をベッドから転落して頭部を打ったものとして診察をし、それも複数の医師が別々に診察していることからみて、その時点で訴外人の頭蓋内出血を疑わせるような状況はなかったものと認められる。

3  次に、鑑定人(葛原敬八郎)は、ベッドからの転落による頭部打撲により頭蓋内出血が生じていた可能性は否定できないとしている一方、明確な頭蓋内出血(硬膜外出血)を証明する根拠を欠いているとしており、訴外人の死因の最大関与因子としては高カリウム血症が考えられ、高カリウム血症と頭蓋内出血との関連性が乏しいことから、頭蓋内出血が死因であることに消極的な結論となっている。そして、消化管出血の可能性も検討し、死亡当日の血液検査所見が以前と変動が大きくないことから、急激な大量の消化管出血が出現していた可能性は極めて少ないとされている。その上で、訴外人が長期にわたるステロイド投与を受けており、ベッドからの転落時に強い精神的なストレスを受けていること、直前までは腎機能は比較的良好に保たれていたのに急激に高カリウム血症になったこと等を総合して、急性副腎不全に陥った可能性が最も高いとの結論に至っている。もとより、訴外人には、難病であるPNという基礎疾患が存在し、特に腎障害が悪化していたところ、頭部打撲というストレスからの急性副腎不全が加わり高カリウム血症が発生し、訴外人の極めて予後不良(難治性)な全身性疾患であるPNからの全身の衰弱状態が加わって死亡したとの見方を示している(鑑定の結果、証人葛原)。

4  甲第五五号証の医師山口研一郎の意見書は、右鑑定人の意見(証言)と同様に、単に頭蓋内出血の可能性を示唆するにとどまるものといわざるを得ず、これにより、訴外人の頭蓋内出血を証明することはできない。そして、他に、訴外人がベッドから転倒したことにより頭蓋内出血を惹起したことを認めるに足りる証拠はなく、右鑑定人の意見を左右するに足りる証拠はない。なお、一審原告らは、一審被告が訴外人の解剖を拒否して証明妨害をしたと主張するが、右解剖がなされなかった経緯は後記のとおりであり、証明妨害というのは当たらない。

5  以上によれば、訴外人がベッドから転落したことにより頭蓋内出血を惹起したと認めることはできないが、訴外人がベッドから転落したことにより、これが原因となって急性副腎不全をきたし、高カリウム血症により死亡したと認めるのが相当である。

したがって、訴外人がベッドから転落したことと訴外人の高カリウム血症による死亡との間には相当因果関係があるものと判断される。

二  争点二(一審被告の過失)について

1  証拠(証人上島第十二回、証人名取第二八回、一審原告小松本人)によれば、訴外人の身体状態は、両足ともに膝の一〇センチメートル位上で切断されていてほとんどベッドの上で生活しており、手も指先が膠縮、変形して箸が持てない状態であり、日常生活においても、食事、起座、排泄、清拭等の全般にわたり看護婦の援助が必要であったこと、訴外人自身は、残された機能をなるべく使うよう努力しており、例えば、洗面の際には、看護婦が洗面器にお湯を入れてサイドテーブルの上に乗せると、訴外人が自分でタオルを絞って拭くとか、看護婦が絞ってタオルを渡し訴外人が自分で拭くとかというような状態であったこと、訴外人は、自分ではベッドの柵の上げ下げはできず、看護婦がやっていたこと、訴外人は、一〇月に入り全身の状態が悪化し、中心静脈栄養により栄養を補給したり、ペインクリニックの点でも硬膜外神経ブロックもやれない(これをやると血圧が下がるため)ようになっていたことが認められる。

以上のような訴外人の身体状態等を考慮すると、訴外人は自己の体を支えること自体相当困難であり、特に、体勢が崩れるとこれを自己の力で立て直すのは極めて困難であることが容易に知れるところであって、これに、訴外人がほとんどベッド上で生活しなければならない状態であったことを考え併せると、ベッドからの転落防止は当然看護する側で配慮しなければならない事柄であったと認められる。

2  そして、証拠(乙第六号証、第一九号証、証人上島第一二回)によれば、訴外人は、一〇月二九日午前六時五分ころ、看護婦に起こされ、洗面の準備をした看護婦が他の病室に行った後、ベッド上で自分で少し体を動かしているうちにこらえきれなくなって、ベッドの(仰向けに寝た患者から見て。以下同じ)左側に転落して、ビニール貼りの床(床からベッド上まで約六三センチメートル)に頭部(右額部)を打ったことが認められる。

そこで、岡谷病院が訴外人につきベッドからの転落防止のための措置を講じていたか、その点についての過失の有無を検討するに、証人名取は、訴外人がベッドから転落したことを最も早く認知した看護婦である澤田美紀から聞いたこととして、澤田が駆け付けたところ、訴外人がベッドの左側に仰向けに倒れており、中心静脈栄養のライン管やカテーテルには異常はなかった、ベッドの柵はベッド左側は立ててあり、右側は立ててなかったので立てた、右側を立てた点を乙第六号証(二〇頁)の「ベッド柵立てる」という表現で記載した旨証言するほか、訴外人のベッドの左側の柵はいつも立てていたが、右側は立ててなかったことが多かったと証言するが、ベッド左側の柵が立ててあった旨の右証言は、以下のとおり疑問があり、採用することはできない。

(一) まず、名取の右証言は、重要な部分はほとんど澤田からの伝聞というのであり、しかも、名取が澤田から聞いた内容自体も名取の単なる記憶によるというもので、看護記録等に全く残されておらず、かつ、伝聞時から供述時まで相当期間を経過している上、他に右証言を裏付ける証拠は全くないから、右証言を直ちに採用することは到底できない。なお、柵をベッドからの転落防止のためにするのに、特に訴外人の身体状態を考慮すれば、柵の片側だけを立てていたというのは極めて不自然であり、この点においても名取の証言は採用し難い。

(二) 一審原告小松が昭和五四年七月ないし九月ころに撮影した写真(甲第四四号証)には、訴外人のベッドの柵は両側とも下げられた状態のままであり、これによれば、柵は当時立てられていなかったことが認められ、他には、柵が立てられていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(三) 乙第六号証(二〇頁)には、単に「ベッド柵立てる」と記載されているにすぎず、右側との記載はないが、担当看護婦としては、自分が担当していた際の事故であり、患者の容態の変化や自分の責任問題について関心をもって記載するのが通常であるところ、もし、柵の立っていた側から落ちたのであれば、そのような点に触れるか、又は、右側の柵も立てるというような記載がされてしかるべきであり、右記載を素直に読めば、柵を全く立てていなかったところ、訴外人が転落したことから、危険だと考えて改めて柵を立てたものと認めるべきである。

以上によれば、訴外人がベッドから転落した時点で転落した側のベッド柵が立てられていたものと認めることはできず、かえって、ベッド柵は両側とも立てられていなかったものと認めることができる。

訴外人のような身体状態の患者を入院させている病院としては、看護婦等により患者に対し具体的な看護をすることができる状態にない場合には、患者のベッドからの転落を防止するためにベッドの柵を立てる措置をすべきであったということができるところ、訴外人の転落当時、具体的な看護をしている者はいなかった状態であるにもかかわらず、ベッドの柵が立てられていなかったのであるから、一審被告(岡谷病院)にこの点において過失があったものというべきである。

三  当審における一審原告らの主張(解剖義務、死因説明義務の有無)について

一審原告らは、一審原告らと一審被告との間で訴外人の解剖をする旨の合意が成立したと主張するが、証拠(証人上島第一三回、一審原告小松本人)によれば、訴外人の死後、訴外人がPNという極めて珍しい病気に罹患していたことから、当初、岡谷病院から訴外人の遺族に対し訴外人の解剖が申し出られ、一審原告らがこれを承諾したが、その後、主治医(上島医師)が長期間の入院生活を送り、かつ、手術を受けてきた訴外人についてこれ以上同人の身体を傷付けたくないとして解剖することに消極的であったので、岡谷病院において解剖の申出を撤回したため、解剖がされなかったという経緯があったことは認められるものの、一審原告らが本訴を提起したのは、訴外人の死後七年も経過した後である上、本訴状では、右解剖がされなかったこと自体は全く問題としていなかったこと等に照らすと、右解剖がされなかったことは、一審原告らにおいても元々問題としていなかったものと認められるから、右認定の経緯から一審被告に解剖義務を生じさせるような右主張の合意が成立したと認めることはできず、他に右主張に係る事実を認めるに足りる証拠はない。

また、訴外人と一審被告との診療契約(準委任契約)に基づいて、一審被告に訴外人を解剖する義務、及び解剖した上での死因に関する説明を遺族である一審原告らにするべき義務があるということもできない。

四  争点三(損害賠償の額)について

1  訴外人本人の慰謝料

訴外人がベッドから転落し最終的には死亡したことにより被った肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料については、本件転落事故以前に訴外人がPNという重篤でかつ予後不良な基礎疾患を有しており、右基礎疾患が進行し全身症状が悪くなっていたことを考慮すると、損害の公平な分担という見地から、過失相殺の法理の類推適用により、賠償額の減額をするのが相当であるところ、これに本件転落事故の状況、訴外人の年齢、本訴請求について後記のとおり遺族固有の慰謝料請求が認められないこと、その他本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すると、右慰謝料額は三〇〇万円が相当である。そして、一審原告らは、訴外人の三人の子のうちの二人であるから、相続により、各自一〇〇万円の慰謝料請求権を取得したことになる。

2  葬儀費用

本件死亡事故と相当因果関係にある葬儀費用相当の損害額は、訴外人の年齢等に照らして、五〇万円と認めるのが相当であるところ、一審原告小松本人の供述(八〇頁)及び弁論の全趣旨によれば、一審原告らが訴外人の葬儀費用を分担したものと推認されるので、葬儀費用相当の損害額は、一審原告ら各自二五万円と認められる。

3  一審原告ら固有の慰謝料

本件損害賠償請求は、債務不履行責任に基づくものであるところ、債務不履行に基づく損害賠償請求においては、遺族固有の慰謝料請求権を認めることはできないから、一審原告らの右慰謝料請求は理由がない。

4  したがって、一審原告らの損害賠償額は、各自一二五万円となる。

そして、債務不履行による損害賠償債務は、期限の定めのない債務であり、債権者から履行の請求を受けた時に履行遅滞となるから、右金員に対する遅延損害金請求の始期は、本訴状送達の翌日である昭和六一年一一月一九日とすべきである(本件記録。本訴状による以前に請求をしたことを認めるに足りる証拠はない)。

五  よって、一審原告らの請求は、右の限度で理由があり、その余は理由がないところ、これと一部結論を異にする原判決を一審被告の控訴に基づき右のとおり変更し、一審原告らの本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官奥山興悦 裁判官杉山正己 裁判官沼田 寛)

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